MPA患者の「ばんそうこう」さんの場合

MPA(顕微鏡的多発血管炎)になって3年生です。同時に患った腎不全で透析治療も3年生で、週3回、4時間づつ受けています。プレドニンは10mgと免疫抑制剤アザニンを服用しています。肺不全(肺胞出血)と心不全の方は快癒しましたが、不整脈は時々あります。MPAの指標でもあるMPO- ANCAは現在、陰性です。
私の場合、最初、なんとも言えない疲労感が1ヶ月ほど続き、その後、風邪的症状が2ヶ月ほどありました。食欲をなくし、ついで、血尿・鼻血・目の網膜の出血など、出血傾向が現れ、最後は突然の呼吸困難で救急に担ぎ込まれました。血圧は血圧計が振切れるほど高く、一挙に危篤状態となりました。
幸い、緊急の処置で一命を取止めましたが、腎機能の低下が急激だったため、すぐに透析となりました。
離島の病院でしたが、幸運にも、たまたま主治医の先生が、本土の病院で膠原病専門チームにいた経験があり、検査結果等待たず、「MPAの可能性が大」ということで、プレドニンのパルスを行ってくれました。同時に、プレドニン40mgの服用もはじめ、病状は安定していきました。ANCAが、なかなか安定せず、免疫抑制剤の服用もはじまり、2ヶ月後、ANCAが陰性になりました。けっこうキツカッタです。
後に主治医より、あの状況まで進んだMPAの場合、生存確率は10%以下だったこと。今まで診たMPAの患者さん5名は皆、元気に病院から出れなかったことなどを聞きました。私が6人目だったわけです。
とにかく、緊急で、適切な治療が受けられたことが幸いしました。
また、入院初期の苦しさで、どうかなっていた?のかもしりませんが、終始、冗談をふりまき、周りも、自分も笑っている時間が多かったことが良かったかもしれません。
罹患率10万人に一人ともなると、冗談としか思えなかったのです。
主治医も「こいつなら何を言っても大丈夫だ」と思ってくれたようで、包み隠さず話してくれました。私も、主治医に「だめな場合、最後、どんな風なんでしょうか?」などとニコニコしながら質問して、困らせていました。ただ、並行して、女房には、私が病死することを想定したケアーが行われていました。それほど状況は危険だったわけです。
4ヶ月半後、退院できましたが、今も再発の危険を抱え、どうなるかは判りません。

でも、みなさんの経験を参考にさせて頂きながら、前向きに生きて行こうと思っています。

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